故 萩原忠博氏に捧ぐ①
2011.12.16 (Fri)
今から7年前、西条ロータリークラブで知り合いました。
笑顔とチャーミングさと少々の色気をエッセンスにした、
萩原さんとはすぐ仲良しになりました。
その当時、大阪で新聞を発刊することに直面し、
躊躇していたボクは萩原さんに相談したのです。
「行くべきか…止めるべきか…」
元バンカーの萩原さんは迷わず
「行くべきです。
あの吉岡利固さんと組めるなんて
もう2度とない!
行かないと後悔しますよ」と…
でも、じゃあ今の僕の仕事はどうすればいい?
・
・
・
3週間後、萩原さんは月給100万円の病院幹部の職を捨て、
月給20万円の白竜湖グループの社長代行になっていました。
理由はただ一つ。
「たいくつだったから…」と。
それから1年後、彼がガンで亡くなられたとき
僕は思い知らされました。
世の中には他人の夢のために純粋に働ける人がいて、
そんな人のおかげで今があると…
笑顔とチャーミングさと少々の色気をエッセンスにした、
萩原さんとはすぐ仲良しになりました。
その当時、大阪で新聞を発刊することに直面し、
躊躇していたボクは萩原さんに相談したのです。
「行くべきか…止めるべきか…」
元バンカーの萩原さんは迷わず
「行くべきです。
あの吉岡利固さんと組めるなんて
もう2度とない!
行かないと後悔しますよ」と…
でも、じゃあ今の僕の仕事はどうすればいい?
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3週間後、萩原さんは月給100万円の病院幹部の職を捨て、
月給20万円の白竜湖グループの社長代行になっていました。
理由はただ一つ。
「たいくつだったから…」と。
それから1年後、彼がガンで亡くなられたとき
僕は思い知らされました。
世の中には他人の夢のために純粋に働ける人がいて、
そんな人のおかげで今があると…

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